2017年08月07日

日本の精神医学の歴史 看護やPSWの学生向き

それまで精神障害者は各家庭で私宅監置されていましたが、1900年には改めて私宅監置での監護の手続きを定めた「精神病者監護法」が作られました。精神障害者の保護に関する最初の法律でした。

ドイツで精神医学を学び、帰国した呉秀三が当時の日本を改めて見て嘆き「日本の精神障害者は、病気という不幸プラス日本に生まれた不幸で『二重の不幸』だ」と1918年に発言し、私宅監置ではなく病院で扱うべきとする1919年に「精神病院法」を作りました。
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しかし、実際には順に東京、大阪、神奈川、福岡、鹿児島、愛知、兵庫、京都の8ヶ所に精神科病院が作られただけで、全国的には精神科病院の整備は進まず、私宅監置が続けられていました。

そこで、1950年に「精神衛生法」が作られ、私宅監置が廃止され、都道府県立の精神科病院の設置が義務付けられました。実際、例えば筑波大学がある茨城県であれば茨城県立こころの医療センターのもとの組織が1950年に、埼玉県であれば川口病院と東武脳病院が1952年に、山梨県であれば山梨県立北病院が1954年に、静岡県であれば静岡県精神保健福祉センターのもとの組織が1957年に、開院されています(県に指定された精神科病院があれば県立病院の設置の延期が認められていました)。1950年以降には全国的に精神科病院が作られていきます。

ここから、2つの事件が精神医療の歴史に影響を与えます。

1964年にはアメリカの駐日大使エドウィン・ライシャワーが、日本の精神障害者に刺されてしまい、これは「ライシャワー事件」と呼ばれています。日本の対外的なメンツに関わる大きな問題となり、「精神障害者が野放しにされてる」などと批判が生じました。精神病院はさらに増え続けました。同時に、1965年には精神衛生法が一部改正され、精神障害者をより医療につなげるため「通院医療費公費負担制度」が設けられたのです。
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1984年には精神科病院で患者虐待が行われていたことが発覚し、これは「宇都宮病院事件」と呼ばれています。精神衛生法に代わり1987年に「精神保健法」が作られ、任意入院、精神保健指定医、精神医療審査会など患者の人権に守るための制度が設けられました。

1993年に障害者基本法が作られ、身体障害者や知的障害者とともに精神障害者も障害者として福祉の対象と定められました。そして、1995年に精神保健福祉法が制定され、精神障害者の自立と社会参加の促進が目標とされ、精神障害者福祉手帳が作られました。



今ある日本の精神科医療も当たり前に存在しているのではなく、歴史があって今があるものなんですね。きっとこれからもさらに変わっていくことでしょう。
なお、大きな文字は看護師国家試験で出題されているポイントなので、看護学生は特に把握しておく必要があります。
ラベル:精神科 精神医学
posted by ぷしこノート at 17:57| 精神科ブログ講義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする